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欅並木通りの源義家像(府中市宮町)
欅並木通りの源義家像(府中市宮町) 源義家の像 「八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051〜1062)を鎮めました。その帰途、康平5年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、けやき並木のはじまりと伝えられています。この像は、前九年の役,後三年の役で卓抜した武勇をあらわし,源氏の最盛期を迎えた公と、府中,大國魂神社,けやき並木の史実を後世に伝えようと、府中ロータリークラブにより建てられたものです。 ...続きを見る

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2008/06/27 06:37
宝性院の六地蔵一石塔(府中市是政)
宝性院の六地蔵一石塔(府中市是政) 宝性院の開山は不詳だが、所蔵している板碑などから推察すると、すでに鎌倉時代には創建されていたものと思われる。本尊は薬師如来であるが、不動明王座像も本堂内に安置されている。もと京都仁和寺の末寺であったが、その後、府中妙光院末となった。 ...続きを見る

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2008/06/27 06:35
浅間山公園の浅間神社(府中市若松町)
浅間山公園の浅間神社(府中市若松町) 浅間山 浅間山は前山・中山・堂山の三つの小さな峰からなり、その名は堂山の頂に祀られている浅間神社に由来する。海抜80mで周囲との高さの差は30mに過ぎないが、周囲にさえぎるものがないため、眺望はなかなか良好である。この浅間山は、自然史的に見て特異な存在の山で、地質が付近の段丘地質と全く異なり、多摩川対岸の多摩丘陵と同じ御殿峠礫層であることから、武蔵野段丘や立川段丘が形成される以前に古多摩川やその他の河川により周囲が削り取られ、ここだけが孤立して残った侵食丘と考えられている。また浅間山を中心... ...続きを見る

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2008/06/27 06:25
本宿一里塚(府中市日新町・日本電気株式会社府中事業所内)
本宿一里塚(府中市日新町・日本電気株式会社府中事業所内) 史跡 甲州道中一里塚 一里塚は、江戸時代、街道一里毎に作られた塚で、明治以降、交通機関の発達などにより、多くは取り壊されている。その基点は、日本橋で、道の両側に土候を築き榎を植え、行旅の便利を計ったものである。夏は、緑陰が何よりの休憩所となり、秋には、その実が飢えをしのぎ、又、日本橋からの里程を知らせるのに役立ち、旅人に親しまれた。甲州古街道は、府中宿から、この付近を通り青柳下へ出て多摩川を渡り、日野万願寺へと続いていた。丁度、ここには、江戸より八里の塚があった。よって、塚を復し碑を建て後... ...続きを見る

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2008/06/26 07:23
八雲神社脇の元応の板碑(抱き板碑)(府中市分梅町)
八雲神社脇の元応の板碑(抱き板碑)(府中市分梅町) 府中市指定文化財 郷土資料 八雲神社脇の元応の板碑 指定 平成元年8月23日 鎌倉時代の中頃から室町時代の末までのおよそ300年の間、関東地方では秩父産の緑泥片岩を板状に加工した塔婆が盛んに造立されました。このような塔婆を普通「板碑」と呼んでいる。市内からは大小様々の300基以上もの板碑が見つかっていますが、この八雲神社脇の板碑は年代的にも古く、堂々たる風格を備えたもので、加えて古道の傍らにあって造立当時の面影を残しているとみられる貴重なものです。板碑の表面はかなり風化していますが、こ... ...続きを見る

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2008/06/26 07:20
高倉塚古墳(府中市分梅町)
高倉塚古墳(府中市分梅町) 府中市指定文化財 市史跡 高倉塚古墳 平成十三年十月三十日指定 府中崖線の斜面上に広がるこの周辺には、確認されている古墳が二七基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。墳丘が残っているものは五基ありますが、高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しており、古来より「高倉塚」と呼ばれ象徴的な存在でした。そのため、中世以降には信仰の対象になっており、近年まで厚く保護されてきました。これまでの発掘調査では、墳丘の構築工法の判明、墳丘下層から六世紀前半とされる土師器杯が出土するなど学術成果があり、高倉... ...続きを見る

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2008/06/26 07:17
光明院の弁才天(府中市分梅町)
光明院の弁才天(府中市分梅町) 光明院は約320年前、北条家臣、肥後守小川義継によって開基され、阿闍梨祐秀が開山したと伝えられる。途中、無住時代もあったようですが、現在二十世に至っている。 ...続きを見る

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2008/06/25 07:12
甲州街道常久一里塚跡(府中市清水が丘)
甲州街道常久一里塚跡(府中市清水が丘) 府中市指定文化財 市史跡 甲州街道常久一里塚跡 昭和59年1月27日指定 一里塚は、旅人に里程を知らせるため、街道の両側に一里(約4キロ)ごとに築かせた塚で、我が国では江戸時代になり制度として成立した。すなわち、慶長9年(1604)徳川家康は江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三道に一里塚を築かせ、それを全国に普及させた。塚上には塚を固めるため榎をはじめ松や欅などが植えられ、これが旅人にとっては日ざしをさける木かげの休所となった。 この常久一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州... ...続きを見る

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2008/06/25 07:10
黄金の馬(府中市八幡町)
黄金の馬(府中市八幡町) 京王線の「府中競馬正門前」の改札を出ると「黄金の馬」がお出迎え。 京王線「府中競馬正門前駅」から東京競馬場の観戦スタンドまでを結ぶの直線の連絡通路が完成し、天候の悪い日でも雨に濡れることなく競馬場へ入場できるようになりました。正門前駅の改札付近では、黄金の馬「アハルテケ像」がファンを出迎え、みんなの幸運を願っています。 ...続きを見る

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2008/06/25 07:08
府中高札場(府中市宮西町)
府中高札場(府中市宮西町) 東京都指定旧跡 府中高札場 所在地 府中市宮西町5−1−1 指 定 昭和4年10月 法度、掟書、犯罪人の罪状などをしるし、交通の多い市場、辻などに掲げた板札を高札といい、庶民の間に徹底させるためこれら高札を掲げる場所を高札場といった。これらは中世末期からあったが、江戸時代が最も盛んとなり明治3年(1870)廃止された。高札場は無年貢地で街道の宿場や村の名主宅前など目立つ場所に普段設置され、江戸には日本橋など6箇所の大高札場をはじめ35箇所に高札場があったという。 府中の高札... ...続きを見る

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2008/05/13 07:01
分倍河原古戦場(府中市分梅町)
分倍河原古戦場(府中市分梅町) 東京都指定旧跡 分倍河原古戦場 所在地 府中市分梅町2159 新田川分梅公園 指 定 大正8年10月 文永(1274)、弘安(1281)の役を経験した頃、北条執権政治は根底からゆるぎ御家人救済の方法として徳政令を発布したが、これがかえって政権破滅の速度を早めた。元弘3年(1333)5月、新田義貞は執権北条高時を鎌倉に攻めるため、上野、武蔵、越後の兵を率いて上野国新田庄から一路南下し、所沢地方の小手指ヶ原で北条方の副将長崎高重、桜田貞国を破り(5月11日)、さらに、久米川の戦で... ...続きを見る

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2008/05/12 05:59
三千人塚(府中市矢崎町)
三千人塚(府中市矢崎町) 東京都指定史跡 三千人塚 所在地 府中市矢崎町2丁目21番2号 指 定 平成17年2月22日 三千人塚は、江戸時代の地誌「武蔵名勝図絵」などにも紹介されている由緒ある塚です。塚の上には、多摩地区最古となる康元元年(1256)の板碑が建ててあり、「板碑の立つ塚」として、昔から注目されてきました。昭和三十年に地元の郷土史家により、この塚の西側が発掘調査され、鎌倉時代から南北朝時代の蔵骨器(四個)が出土しています。平成十七年に学術調査を行ったところ、塚の東側から、石にお経の文字を写した「礫... ...続きを見る

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2008/05/11 14:10

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