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普門院のぼけよけ地蔵尊(所沢市上新井)
普門院のぼけよけ地蔵尊(所沢市上新井) 普門院のぼけよけ地蔵尊 ぼけよけ二十四地蔵尊霊場は、関西の和歌山県、大阪府、奈良県に点在していて、関東には一つもないことから番外として、所沢の普門院に置くことになったそうです。山門を入ってすぐ左側にあります。 ■ぼけよけ地蔵尊  ボケを始め心の不安や病苦の悩みから救われ、無量の功徳あります。 ...続きを見る

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2008/06/06 07:22
中氷川神社の勝軍地蔵(所沢市山口)
中氷川神社の勝軍地蔵(所沢市山口) 神社名は武蔵國一の宮・氷川神社(現在のさいたま市)と、奥氷川神社(現在の奥多摩町)との中間に鎮座するため、中氷川神社と呼称されるようになった。中氷川神社に関しては、有力な説の二社がある。一つは所沢市三ヶ島にある中氷川神社で、長宮明神と称されたものである。他の一つは、所沢市山口にある中氷川神社で、中世には山口党の氏神であったと考えられる。両社はいずれも狭山の北麓に位置し、約2キロメートルへだてて鎮座している。 ...続きを見る

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2008/06/06 07:19
佛蔵院の勝軍地蔵(所沢市山口)
佛蔵院の勝軍地蔵(所沢市山口) 山門をくぐると左手に石仏群があります。明和5年(1768)青面金剛庚申塔、文久3年六地蔵石憧、安政4年(1857)文字馬頭、その他奥多摩新四国八十八ケ所霊場の大師修行像73番が本堂左側庭前に安置されるなど見るべきものが多い。中でも鎌倉後期に起こった地蔵信仰で、悪業煩悩に勝つ地蔵といわれる勝軍地蔵がある。延享4年(1747)の甲冑を着け馬にまたがる石像に注目する。ここ佛蔵院の石仏の銘に、勝楽寺村という文字がたくさん見られるが、勝楽寺村は貯水池の底に沈んだ村で、佛蔵院もその村から移って来た寺です... ...続きを見る

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2008/06/06 07:17
来迎寺と車返しの弥陀(所沢市山口)
来迎寺と車返しの弥陀(所沢市山口) 来迎寺は大光山無量院といい、詳しい歴史はわからないが、鎌倉時代の初期に創立されたと考えられ、本尊は阿弥陀三尊であり、「車返しの弥陀」の伝説がある。昔、奥州平泉、藤原秀衡の守護仏であった阿弥陀三尊を源頼朝の所望により鎌倉に運ぶ途中、東京都府中市車返まで来たところ、車が急に動かなくなり、やむなく引き返してこの地まで来たが、再び車が停ったので草堂を建てて三尊を安置したと伝えられている。 ...続きを見る

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2008/06/05 07:48
誓詞橋の碑(所沢市北野)
誓詞橋の碑(所沢市北野) 元弘3年(1333)に新田義貞は鎌倉に攻め入るため武蔵国に布陣をしき、幕府軍の桜田貞国らと衝突した。小手指ケ原古戦場にある「白旗塚」は、そのとき義貞が源氏の白旗を立てた所と伝えられています。また、かつてこの塚の北側にあった橋は「誓詞橋」といわれ、小手指ケ原の一戦を交える際に義貞が源氏再興の誓いを立てたところからこの名がついたといわれています。 ...続きを見る

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2008/06/05 07:34
松林寺の玄奘三蔵法師像(所沢市林)
松林寺の玄奘三蔵法師像(所沢市林) 玄奘三蔵法師(西暦602年〜664年) 玄奘三蔵は、小説「西遊記」で知られていますが、私たち日本人が最も多く読誦している「般若心経」は実は玄奘三蔵が訳したお経なのです。玄奘三蔵のお姿は、中国では西安の興教寺をはじめ各地で見ることができますが、日本人には、はっきりしたイメージが浮かんできません。長い間のインド旅行をやりとげ、5日に1巻のわりでお経を翻訳致しました。経典を背負い1歩1歩大地を踏みしめて歩く玄奘三蔵のお姿には、正しい仏法(御先祖様の心)を伝えようという不屈な意思が伝わってまいりま... ...続きを見る

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2008/06/05 07:31
勝光寺の石造坂東西国秩父四国供養塔(所沢市山口)
勝光寺の石造坂東西国秩父四国供養塔(所沢市山口) 瑞幡山と号し、臨済宗妙心寺派の寺である。同宗の野火止の平林寺、上富の多福寺と共に美しい楼門造りの山門を有することが特徴である。弘安元年(1278)北条時宗の創建と伝えられ、中興、東山天皇より賜る論旨を寺宝としている。山門は元禄7年より9年(1694〜1696)にかけて建立した堂々たる楼門で、市内における唐様の白眉ともいえる美しい建築である。粽(ちまき)を有する太い円柱、花頭窓、組子入りの棧唐戸など年輪の美しさに酔うばかりで、十六羅漢を奉安している楼上より望む狭山丘陵の風光は、心を洗うながめで... ...続きを見る

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2008/06/04 06:22
三ツ井戸弘法大師(所沢市西所沢)
三ツ井戸弘法大師(所沢市西所沢) 昔、弘法大師が諸国巡歴の折りに、この地に立ち寄ったさいに民家に飲み水を求めると、機を織っていた婦人が遠方まで水を汲みにいったそうです。これを見て大師様は水に難儀する村人を救おうと杖で三カ所の場所を示して、ここを掘れば清水が得られると村人に教えました。村人は教えられた三カ所を掘ると果たして清水が得られたと伝えられています。三ツ井戸は東川に沿って50メートル間隔で掘られ、現在ここに残る井戸はその東端のものであるといいます。少し奥には弘法大師をまつる小堂があります。このような古井戸が残っていること... ...続きを見る

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2008/06/04 06:18
金乗院の霊馬堂(所沢市上山口)
金乗院の霊馬堂(所沢市上山口) 武蔵野三十三観音霊場13番札所 新田義貞公霊馬 私は新田公の霊馬です。新田公の御供を仕り、鎌倉入りして忠誠を尽くしました。その後、公の仰せにより当山を守護し余生を送り今から500年程前、私は生まれ変わりました。昭和43年、解脱会の御奉仕で建物が建て替えられましたが、平成11年本橋俊男氏の100頭の馬の彫像の寄贈に由って、再びお堂が建て替えられました。私を参拝する人々に勝運と商売繁盛を授けます。(案内板より) ...続きを見る

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2008/06/04 06:16
小手指ケ原古戦場(所沢市北野)
小手指ケ原古戦場(所沢市北野) 太平記によれば元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞は鎌倉の北条高時を攻めるため、群馬県新田郡新田町生品明神で旗挙げをし、10日には入間川の北岸に到着した。一方、鎌倉の北条方では新田方を迎え撃つため桜田貞国を将として鎌倉街道を北進し、5月11日、両軍は小手指ヶ原で激しく戦った。しかし勝敗は決せず新田方は入間川に、北条方は久米川に退いた。翌12日、新田方は先制攻撃をかけて久米川の陣を攻め立てたので北条方は敗れて府中の分倍河原に退いた。そして15日新田方が府中に押し寄せたところ、北条方には援軍... ...続きを見る

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2008/05/12 06:02

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