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日 時 |
小島一里塚(調布市小島町)
市旧跡
小島一里塚
調布市小島町1−17
指定 昭和46年2月10日
ここは江戸時代時代の初めごろ、甲州街道に築かれた一里塚のあったところである。江戸日本橋を起点として、およそ六里(24キロメートル)の距離にある。一里塚は街道の一里ごとに、その目じるしとして道の両側に築かれたものである。たいていは塚の上にエノキが植えられ、遠くからでも望見できるようにして旅行者の便がはかられた。
ここにも樹齢200年余と推定されるエノキの大樹があって、その昔がしのばれたが、危険防止のため昭...
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2008/07/04 07:44 |
常性寺の敷石供養塔(調布市国領町)
創建は鎌倉時代といわれ、「調布のお不動さん」として親しまれている。正面の瑠璃殿に本尊薬師如来が安置されている。又、左手にある不動堂には、成田山厄除け不動尊。右手の地蔵堂には、一願地蔵尊がそれぞれ安置されている。調布七福神の一つに数えられる布袋尊が瑠璃殿へ向かう参道の右側に祀られている。
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2008/07/04 07:42 |
光厳寺のところ芋の碑(あきる野市戸倉)
光厳寺は北朝第1代光厳院の勅を奉じて、足利尊氏が建武元(1334)年に正宗広智禅師古先印元を開山として創建した。本尊の釈迦如来は都指定有形文化財。境内のところ芋の碑やヤマザクラなど文化財も多い。
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2008/07/03 07:26 |
猿田彦神社の青面金剛庚申塔(東村山市野口町)
この神社は、明治28年8月に東村山停車場が開業して以来、だんだん増えてきた地域の人々の、結び付きをはかるために、昔から旧道の辻にあった庚申さまを地区の鎮守と定め、お祀りしたものです。辻の庚申さまは宝暦3年(1759)、村人たちによって建てられたもので、道を守って下さる神として信仰されてきました。停車場ができて地区の守り神を望むとき、「道の神・猿田彦さま」を鎮守と仰ぎ、辻から移してお祀りしたのです。鉄道も「みち」であり、駅に関わりのある周辺地域の守り神としてふさわしく、人々に広く信仰されていま...
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2008/07/03 06:26 |
白山神社の牛頭天王像(東村山市久米川町)
東村山市指定有形民俗文化財
白山神社の牛頭天王像
所在地 東村山市久米川町4丁目41番地2
指定 平成3年(1991)7月24日指定第25号
牛頭天王は頭に牛頭をいただいた像で、通称は「天王さま」として知られスサノオノミコトと同体とされています。疫病除けや魔除け厄除けの神として知られていますが、家内繁栄や招福の神としても信仰されました。この白山神社の牛頭天王像は高さ67cm程ですが、石造丸彫座像としては極めて珍しく、武蔵野地域には類をみない優れた忿怒相の石仏です。胸には「信心者 当病...
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2008/07/03 06:23 |
流泉寺の羅漢(立川市砂川町)
流泉寺は砂川新田開発の人々の菩提寺として、慶安3年(1650)に開創されました。山号は天竜山といい、臨済宗建長寺派です。明治時代にはここが教育の中心となり、約30年の間、境内には学校が設けられていました。墓地入口には市内でも珍しい大日如来などの石仏があります。表情の豊かな羅漢さんの群れあり、よく捜すと、昔なくなったおじいさんに良く似た羅漢さんが、必ず居るはずですので、見つけてはいかがですか。以前に来た時より、羅漢さんが増えていました。
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2008/07/01 06:47 |
矢川弁財天の神使石像(蛇)(立川市羽衣町)
社殿前の中庭の白龍橋脇にはハケから豊富に湧き出た湧水を集めた池があります。社殿の前には、とぐろを巻いた白蛇が左右に鎮座しています。
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2008/07/01 06:43 |
発心地蔵尊(立川市羽衣町)
発心地蔵菩薩由来
この地蔵尊は昭和9年2月踏切事故犠牲者の供養と交通安全を願う地元の有志の人達によって建立されました。当時、この付近にあった野沢踏切は人身事故が多く線路北側松林からの飛び込み自殺も度々あった為、魔の踏切と恐れられていました。その頃栄町(現高松町)房宗工務店の店員がこの踏切事故で亡くなり、その嘆きのなかから店主の房宗彌造氏は立川駅区内轢死者の供養と今後の無事故を祈って地蔵尊を祭ることを発心、鉄道その他有志の浄財を募り踏切際に「発心地蔵菩薩」を建立、房宗氏家族をはじめ人々は花を...
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2008/07/01 06:40 |
富士浅間神社(立川市富士見町)
富士浅間神社
ここに築かれた小高い塚は富士塚とよばれ、頂上に浅間神社がまつられています。
江戸時代、富士山の霊験にあやかって現世利益や病気平癒を願う「富士講」が盛んで、成人男子による富士登山が行なわれました。女性や子どもたちのように、実際の富士山に登れない人々は、富士に似せた塚を築いてこれに登ったといいます。しかし、立川(旧柴崎村)に富士講の話は残っていません。この塚の頂上から、富士がよくみえることから、このようによばれたという人もあります。
いずれにしても、江戸時代から地名として現わ...
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2008/06/30 09:26 |
日野の渡し碑(立川市柴崎町)
碑文 日野の渡し碑
立川観光協会 撰
関 頑亭 書
日野の渡しの出来たのは
いつの頃だか誰も知らない
江戸時代中期貞享年間
この地に渡しが移されたことは
確かであろう
かつて信濃甲斐相模への人々は
この渡しを過ぎると
遠く異境に来たと思い
江戸に向かう人々は
江戸に着いたと思ったという
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2008/06/30 09:23 |
中央線を渡る柴崎分水(立川市柴崎町)
柴崎村の飲料水や灌漑用水として、重要な役割を果たした柴崎分水は、元文2年(1737)、玉川上水より引かれました。柴崎村の人たちは貞享5年(1688)から、幕府に「柴崎分水訴願状」を提出しました。やっと許可になった大切な水は、江戸時代の柴崎村の発展に、大変役立ちました。この分水の取り入れ口は、西砂川の松中橋のたもとにあります。土地の微妙な高低差を利用して水路を設け、国営昭和記念公園を通り抜け、富士見町、柴崎町、錦町へと流れていますが、いまは道路の拡張などで、ほとんど暗渠となり、柴崎分水の流れを...
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2008/06/30 09:21 |
砂川八番組馬頭観世音(立川市幸町)
立川では、昭和の初期までは、農家にとって馬は大切な家畜でした。馬が病気になったり死んだときに,供養として馬頭観音が建てられた。この碑は、立川市内で一番大きなもので、嘉永元年(1848)に建てられたもので、地上からの高さは約2.3mあります。
正面には「馬頭観世音」,台石には「砂川村」と記されています。
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2008/06/29 07:23 |
熊野神社の茅の輪(立川市高松町)
熊野神社は享保11年8月1日、当初7軒の家の鎮守神として、旧立川基地内に創建された神社です。昭和20年4月24日の空襲で焼け、その後現在の場所に移ってきました。付近の人々の厚い崇敬を受けています。
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2008/06/29 07:21 |
金比羅山(立川市砂川町)
立川市唯一のこの山がいつ頃築かれたのか、はきっりしませんが、安政年間(1854〜1860)に砂川村の名主砂川家が願主となり、頂上に「富士浅間」中段に「金比羅神社」その下に「秋葉神社」を勧請したと伝えられています。この金比羅神社は江戸時代に流行した富士塚ではないかといわれています。秋葉神社は遠州(静岡県)秋葉山にある火難・火難よけの神として古くから知られていますが、近世になってから徳川家康の命でご神体(三尺大権現)が小田原に移され、その土地の富士浅間の神と合祀されました。富士信仰との融合がはか...
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2008/06/29 07:18 |
旧立川町耕地整理記念碑(立川市錦町)
この記念碑は地域開発の念願をこめて先輩が第二耕地整理組合を結成し、昭和10年から昭和18年までの歳月をかけて現在のような道路が整備されました。そして、19年にその完成を記念して建てられた記念碑であります。今般、錦六会創立30周年にあたり地域の発展の礎を築かれた先人の功績を讃えこれを立てるものであります。
昭和56年2月15日
錦六会
(案内板より)
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2008/06/28 07:36 |
普済寺の首塚(立川市柴崎町)
東京都指定旧跡
立川氏館跡
所在地 立川市柴崎町四丁目 普済寺
指定 大正八年十月
今の立川普済寺の寺地はもと立川氏の居城跡で背を多摩川沿岸に面して眺望は広くひらけている。当時の土塁の跡は現在でも残っており堀割の跡も現存している。立川氏は武蔵七党の一つである西党日奉氏の支族で、立川宮内大夫宗恒がこの地にはじめて居城を構えたという。立川氏は天正の頃断絶したと思われ、それ以降寺域となった。なお当寺の建立は文和二年(1353)立川宗恒である。 なお、同寺境内の首塚は、不揃な五重石塔...
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2008/06/28 07:33 |
芋久保新田の石碑(立川市栄町)
武蔵野新田は、文字通り武蔵野を開いた新田であるが、18世紀前半の享保・元文のころに開いた新田の総称である。本地域内には、芋久保新田・砂川前新田・砂川新田・宮沢新田・殿ヶ谷新田・中里新田・粟之洲新田・日野本郷新田が存在する。いずれも畑作新田である.
芋久保新田など現立川市域内の6新田は、武蔵野台地を開発したものであるが、粟之洲(あわのす)新田と日野本郷新田は多摩川を西に越えた、日野と八王子の間の台地である。
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2008/06/28 07:30 |
欅並木通りの源義家像(府中市宮町)
源義家の像
「八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051〜1062)を鎮めました。その帰途、康平5年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、けやき並木のはじまりと伝えられています。この像は、前九年の役,後三年の役で卓抜した武勇をあらわし,源氏の最盛期を迎えた公と、府中,大國魂神社,けやき並木の史実を後世に伝えようと、府中ロータリークラブにより建てられたものです。
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2008/06/27 06:37 |
宝性院の六地蔵一石塔(府中市是政)
宝性院の開山は不詳だが、所蔵している板碑などから推察すると、すでに鎌倉時代には創建されていたものと思われる。本尊は薬師如来であるが、不動明王座像も本堂内に安置されている。もと京都仁和寺の末寺であったが、その後、府中妙光院末となった。
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2008/06/27 06:35 |
浅間山公園の浅間神社(府中市若松町)
浅間山
浅間山は前山・中山・堂山の三つの小さな峰からなり、その名は堂山の頂に祀られている浅間神社に由来する。海抜80mで周囲との高さの差は30mに過ぎないが、周囲にさえぎるものがないため、眺望はなかなか良好である。この浅間山は、自然史的に見て特異な存在の山で、地質が付近の段丘地質と全く異なり、多摩川対岸の多摩丘陵と同じ御殿峠礫層であることから、武蔵野段丘や立川段丘が形成される以前に古多摩川やその他の河川により周囲が削り取られ、ここだけが孤立して残った侵食丘と考えられている。また浅間山を中心...
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2008/06/27 06:25 |